36 小浜市の羽賀寺のこと  (能代の歴史ばなしより)

36 小浜市の羽賀寺のこと NHKブックスの中に久野健著「仏像風土記」があり、その表紙カバーに福井県小浜市にある羽賀(はが)寺のご本尊で重要文化財の彩色木彫十一面観音立像(りゅうぞう)の上半身が掲載されています。作家井上靖も平凡社ギャラリーの「十一面観音」の文章に、羽賀寺の十一面観音を「明らかに地方造りの美しい観音さまである」と紹介しています。羽賀寺は霊亀2年(716)行基(ぎょうき)の草創と伝える...

35 能代ではりつけの刑  (能代の歴史ばなしより)

35 能代ではりつけの刑 能代奉行武藤七太夫が病没する3年前の延享(えんきょう)3年(1746)といえば、劫火(ごうか)の寛保(かんぽう)大火の日から3年目です。町民の多くが家財道具を失い、貧しい人々が町にあふれていたといいます。 そんな時世にこの事件は起きました。当時馬口労(ばくろう)町に石戸谷有右衛門(いしとやゆうえもん)という人がいて、比内や阿仁から材木を商(あきな)いにくる人を相手に木宿(き...

34 布晒沼と船繋ぎの欅  (能代の歴史ばなしより)

34 布晒沼(ぬのさらしぬま)と船繋ぎの欅(けやき) 東能代地区に関わる伝説を紹介します。医師会病院の西、檜山字新田沢(しんでんざわ)の小友沼(おともぬま)の北方に、布晒沼(ぬのさらしぬま)と称する小沼があります。沼とはいっても現在は水面いっぱいに葦が繁茂して、田んぼの中の葦原といった感じです。 ところで、JR東能代駅の駅名は昭和18年までは機織駅でした。またずっとさかのぼって明治9年に誕生した榊村...

33 体験記録のいまむかし  (能代の歴史ばなしより)

33 体験記録のいまむかし 明和7年(1770)といえば、いまから220年前です。この年の7月28日の夜、能代でオーロラが見えたことを三輪文右衛門が『旧記抜書之ヶ条(ぬきがきのかじょう)』に書き記しています。地震や火災など日常生活に直接影響のあることならともかく、自然現象の記録を古文書で見かけるのは、珍しいことです。後世の為に書き残しておく必要があると考えた文右衛門は、自然科学に対する目が開いていた...

32 天保の家壊(やこわ)しの記録  (能代の歴史ばなしより)

32 天保の家壊(やこわ)しの記録 角川書店刊「日本史辞典」の「百姓一揆年表」に「天保6年(1835)8月1日に、出羽国秋田領能代町。物価騰貴から商家打毀(うちこわし)、300人」という記載があります。いわゆる天保の飢饉に端を発した家壊(やこわ)しは能代の近世史の上で特筆すべき大事件ですが、当時を物語る古文書などの資料は地元にもほとんど見当たりませんでした。ところがこのほど市史資料調査をしているうち...

31 杉沢台のむかし  (能代の歴史ばなしより)

31 杉沢台のむかし 昭和55年に、向能代東雲台地の北方、杉沢台にある遺跡の大がかりな調査が行われ、そこが縄文時代、平安時代の複合遺跡であることがわかりました。たくさんの資料が出土、検出されましたが、中でも縄文時代前期の大型竪穴住居跡の発掘は注目を浴びました。この発掘調査は、51年から始まった国営農地開発事業に伴い破壊される恐れのある部分の記録保存をはかることを目標に実施されましたが、貴重な遺構、遺...

30 能代唐船番所のこと  (能代の歴史ばなしより)

30 能代唐船番所のこと 能代公園の俗称本丸に、藩政時代に異国船を見張りする唐船番所があったことをご存知ない方や米代河口付近にあったと思っている方もあります。 天明8年(1788)佐藤哲阿弥(てつあみ)筆の「清街筆記」(国会図書館蔵)の6月朔日の項に「唐土船(もろこしぶね)を守れる番所、岡の上にあり。此処にて暫く眺望す。景色甚よし」とあり、折り込みの町絵図に、般若山上に唐船番所が建っています。また文...

29 砂防林植栽の番小屋跡  (能代の歴史ばなしより)

29 砂防林植栽の番小屋跡 能代公園の料亭松風庵の玄関前方に頂上が15メートル四方ほどの小山があります。今はあずま屋があるだけですが、年輩の方には「ああ、相治(あいじ)の稲荷さまのあったところ」と思い当たられる方もおありでしょう。この稲荷さまは、今は八幡神社境内の西に移されていましたが、竣工されたのは明治初期と推定されます。 ところで、相治の稲荷さまができる更に以前のことは従来知られていませんでした...

28 松苗の出所が判明  (能代の歴史ばなしより)

28 松苗の出所が判明 能代市の海岸砂防林の造成が始まったのは、正徳元年(1711)11月とみてもいいのでしょうが、最初の数年間は試行錯誤の期間だったことでしょう。実際に黒松を植えるまでの苦労は大変であったと思いますが、具体的にそれを記した記録はありません。昭和60年、能代市史資料第15号に越後屋・村井文書を取り上げたときも、そのことを強く感じました。それとともに砂防林の黒松の苗木を一体どこから持っ...

27 正宗献上と木庵招聘(しょうへい)  (能代の歴史ばなしより)

27 正宗献上と木庵招聘(しょうへい) 能代の檜山城主多賀谷氏の御一門「多賀谷将監(しょうげん)家来由緒書」に興味をひかれることが記されています。多賀谷家基(いえもと)の条(くだり)に次のように記しているのです。「延宝6年(1678)佐竹義処(よしずみ)公江 正宗刀泰 献上、同八年黄金頂戴、御取次ハ梅津半右衛門、同八年四月十日黄檗(おおぼく)紫雲木庵大和尚先祖経明経忠法事執行勒(ろく)ス尚自筆書給所...